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 秋祭りは10月19日~26日に及び、25日は例大祭が執り行われます、中でも上野文化美術保存会による、鬼・だんじり供奉行列が盛大であり、19日の早朝に2基の神輿は本社から東旅所(市内上野車坂町)へ渡御します。

 25日直近の日曜日には神幸祭が執り行われ、東旅所を神輿が発し、本町通りを巡幸して上野幸坂町の西旅所へ渡御、御昼祭を執り行います。午後は二の町通り、三の町通りを巡幸して、午後3時頃に本社へ還り、例大祭が斎行されます

 日本最大と云われる三十余貫(120㎏)の大御幣が神輿に続き、役の行者が大峯入りに凝らしたと云われる大鬼・小鬼の奇妙な仮装行列が続き、次に9ヶ町の楼車が神輿に供奉し巡行する長蛇の列は、紅葉に映える城下町伊賀上野の粧いこらした一大絵巻であり、約400年の伝統が偲ばれます。

 当日の参詣者は伊賀一円はもとより、県内を始め、滋賀県、京都府、奈良県などに隣接する方面からの参詣者も多く十数万人を数え、境内を中心に市内各所に露店が軒並べ、市中は歩行者天国であります。平成14年、「上野天神祭のダンジリ行事」として国指定重要無形民俗文化財として指定を受け、平成28年12月1日にはユネスコ無形文化遺産に登録されています

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 この祭礼は万治3年(1660)9月に藤堂藩の許可を得て再興され、その2年後寛文2年(1662)には、神輿が丸之内を渡御するようになった。貞享5年(1688)に3代藩主 藤堂高久が初めて天神祭礼をご覧になり、作り花などが行列に参加していた、その後各町衆が趣向を凝らし、現在の神輿・鬼・だんじり(9基)行列の形態が整ったのは文化・文政期(1804~1830)ごろである。

 毎年、だんじりは9月9日に籤取神事が取り行われ、その年の巡行の順番が決定する、​この籤取神事を境に各町は祭りの準備やだんじりで演奏される笛・カネ・太鼓の練習が慌ただしくなる

行 列 順 次

上野車坂町 こども神輿

女性神輿

​氏子青年会(菅青会)神輿

前駆2名

金棒2名

社名旗2名

獅子2名

真榊2名

稚児2名

楯・鉾4名

毛槍児童20名

供奉児童45名

八乙女45名

弓矢2名

荷太鼓2名

錦蓋2名

菅蓋2名

翳4名

神輿曳児童60名

神輿(天満宮)

神輿(九社宮)

神輿委員10名

神職(人力車)2名

だんじり9基

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